「臨床発達心理士はジェンダー・セクシャリティの問題とどう向き合うかー第20回全国大会@長野における情報交換会のご報告―」(1)

武藤百合

*以下は、参加者の了解を得た上での報告となります。個人が特定されないよう、表現等に一部変更を加えさせていただきました。

「ヒカルちゃん、変だよ」「女の子はみんなお嫁さんになって、子どもを産んだりするのが当たり前なのに」―トランスジェンダー(ただし周囲には「未」カミングアウト)であるヒカルちゃんが「将来の夢(結婚願望がないこと)」を話した時、クラスメイトは眉をひそめてすかさず「えーキモーイ」「「そういうの無理」と反応し、「女の子はみんなお嫁さんになって、子どもを産んだりするのが当たり前」と返しました。嫌悪感に満ちたクラスメイトの反応に、ヒカルちゃんの心は「ここまで拒絶されるとは」と不安や恐怖感で一杯になり、今後は自分のセクシャリティを「絶対に隠さなければならない」と決意します(山岸、2013)。

このような体験は(もちろん、地域や身近な環境、年代によって個人差はあるものの)ある程度、性的マイノリティの人々にとって普遍的な一コマであるかもしれません。「女の子はいつかお嫁さんになって家事・育児をするものだ」「男は仕事を持って稼いで妻子を養うものだ」―昭和世代であった今は亡き私の父も、「女性はこうあるべき」「男性はこうあるべき」と考えている典型的な人物でした。私は父のことは決して嫌いではありませんでしたが、凝り固まったジェンダーにまつわる父の「価値観」は容易に崩れず、私自身も知らず知らずのうちに、父の考える「「女性は〇〇あるべき」という枠から「決してはみ出てはいけない」と、自分自身を縛るようになっていたかもしれません。

そのような「ジェンダー縛り」が強かった私も(否、「強かった私だからこそ」でしょうか)心理職として医療現場や行政、教育現場などで経験を積む中で、ジェンダーの問題に深い関心を抱くようになりました。心療内科系の病院に勤務していた頃、心身の不調や心の悩みを抱え、カウンセリングに訪れる人々の中には、ジェンダー・アイデンティティの危機(クライシス)に直面している人々が少なくなくありませんでした(資料1)。また、行政でH I V専門カウンセラーとして相談を受けていた頃は、直接的・間接的に本当に沢山の性的マイノリティのケースに関わってきました。セクシャリティの問題について、近年は教育現場で生徒や教員を対象にL G B T Qに関する研修を担当する機会があり、大学の教職課程でもそのテーマで一コマ教えていますが、研修や講義を受けた方々の感想文などを読ませていただいても、私の子ども時代に比べて着実に「多様性」を受け入れる時代にシフトしつつあることを肌で感じています。

「多様性」が叫ばれる時代に臨床発達心理士はいかに適応し、人々の健やかな成長と発達を支援していくべきなのでしょうか。かなり極端な例ですが「お嫁さんにならないと一人前ではない(=人として成熟していない)」等の(ヒカルちゃんのクラスメイトや私の父がそうであったように)固定化したスタンスで凝り固まってしまうのではなく、被支援者全ての「ジェンダー・セクシャリティの問題」と向き合い、その「多様性」を受け入れ・尊重しながら、臨床発達心理士は支援者として、どのように被支援者と関わっていくことが望ましいのでしょうか。

以上のような問題意識から、滋賀支部の研修担当役員としてL G BT Qの理解を深めるための研修会を開催しました(土肥、2021)。その後(一社)日本臨床発達心理士会の「言い出しっぺ」グループ作りにエントリーし、「臨床発達心理士とジェンダー・セクシャリティの問題」というテーマで仲間を募りました。その流れで、第20回全国大会@長野において「臨床発達心理士はジェンダー・セクシャリティの問題とどう向き合うか」というテーマで情報交換会を企画、当日は司会と話題提供を担当させていただきました。(つづく)

引用・参考文献

・山岸ヒカル(2013)『男になりたい!』中経出版.

・土肥いつき(2021)「問題の所在はどこか?ーL /G /B /T’sの子どもたちの存在が問いかけるものー」日本臨床発達心理士会滋賀支部2020年度第1回研修会配布資料.

・武藤百合(2024)「臨床発達心理士はジェンダー・セクシャリティの問題とどう向き合うか」『(一社)日本臨床発達心理士会第20回長野大会論文集』45p.