【声明】正しい発達障害の理解を広め、臨床発達心理士の社会的役割を訴えます。―今話題になっている「職場における発達障害のある方等への関わり方」に関する「啓発本」なるものに関連して―

2025年4月24日
一般社団法人日本臨床発達心理士会執行部

正しい発達障害の理解を広め、臨床発達心理士の社会的役割を訴えます。
―今話題になっている「職場における発達障害のある方等への関わり方」に関する「啓発本」なるものに関連してー

 4月24日に刊行予定の頭書の書籍については、現在、表紙や帯、そして目次が見られるだけですが、それだけ見ても、この本の寄って立つ立場が明確であると思われます。
 すなわち、発達障害を始めとする生き方に困難をかかえている人々、はては世代が違うなど自分とは価値観が異なる人までを「困った人」「はびこる」という言葉を使い、これらの人々を「うまく動かす」と表現するなど、身勝手な視点からの差別的な決めつけを行っています。また,発達障害などの発達上の困難をかかえている人々に対する誤解を広めている点でも看過できません。
 内容を読まないと正確な論評は出来ませんが、この表紙の表現が人目を引き付けるためであったとしても、これらの表現を良しとする感覚に疑問を持たざるを得ません。
 この書籍に対する批判や懸念は多方面から出されていますが(例えば自閉症協会のブログ https://www.autism.or.jp/blog250418-2/ ) 、内容的には、それらに概ね同意するものです。
 その上で、私たちは、臨床発達心理士として、どのような立場で、支援を必要としている方と関わっていくかと言うことを述べ、当該の書籍の立場に同意できないことを表明します。
 臨床発達心理士は人の一生涯の発達に寄り添い、発達上の困難に対して支援する心理の専門家です。人の発達は本来非常に自由度が高く、結果として、人は極めて多様な存在となります。多数派だけが「正常」なのではなく、全ての人が同じ価値を有し、それぞれの発達経路を歩みます。ところが、その際、社会との間で不適合が生じるとき、それは「障害」と名付けられる現象となり得ます。ヴィゴツキーが言うように、その個人の中にある特性(一次的障害)ではなく、個人と社会の間での不適合(二次的障害)が問題になります。従って、いろいろ生じてくる困難な事象は、実は、その「個人」の責任ではなく、主として社会の側に原因があると言わざるを得ません。ですから、支援ニーズのある方に対する支援は、「その方を社会に合うように変える」というよりも、「周囲をその方が生活し学習しやすいように変えていく。その中でその方の発達も促され、より力が充実するように変わっていく」という視点で支援を行います。その方を「困った人」というように個人のみに焦点を当てた関わり方はしないのです。
 また、医学的な診断は診断として尊重しつつも、それだけで具体的な支援を決定せず、一人一人の状態に応じて支援します。一人一人を丁寧にアセスメントして取り組み目標を見つけ出すこととし、決して「○○タイプ」とひとくくりにするような雑ぱくな対応は取らないのです。その際も、誰のためのアセスメントか、誰のための介入か、を常に意識して、支援を必要としている人の「自分らしい発達」を促すことを最も大切にしていきます。介入は、たとえそれが「その場に適したこと」や「良いこと」であっても、本人がそれを望み、納得し、本人が同意したことでなければ、それは即座に「本人に取って良くないこと」に転化します。支援を必要とする人やその家族などの願いは、優先されるべきです。
 また、心理職、あるいは、カウンセラーとして困難に陥った人を支援する専門職には、高い倫理観が求められ、その中に自己研鑽を深め、自らの実践を反省的に振り返り、必要に応じてスーパーバイズを受ける責任が伴います。「専門家である」という過信は、驕りや慢心を生み、ひいては支援を必要とする方々に損害を与えることを知っているからです。 一人一人の臨床発達心理士も、また職能団体としての日本臨床発達心理士会も、発達しつつある存在です。今すでに完璧な状態であるとは言えませんが、つねに省察し、また、助言や批判に適切に応え、支援を必要とされている方に、より的確な支援を届けられるよう、精進していく所存です。それとともに、発達障害を含めて、発達上、生きていくうえで困難をかかえている人々の理解を広め、その生きる権利を守るために奮闘していくことも責務と考えています。